朝みのもんたが「アホか!!」と吠えていました。
同感です。
ですが、「バカか!!」でしょう。
関東と関西では意味がまったく違います。
東京に合わせる必要などないでしょう。
いじめがあった、なかったで揉めていること自体滑稽ですね。
すでに死んでいるわけで、もっと他のするべき議論があるでしょう。
だいたい死んだ人は皆、神様仏様になるのでしょう?
それが日本が培ってきた伝統であるはず。
神様に対し、なんと不届きな行為を働いていることか。
もうこの時代に、いじめは身体的暴力のみに限定されると考えている人はいないでしょう。
ただでさえ見えにくいのに、女子の場合、もっと見えなくなります。
そもそも加害者が誰なのか見えなくなること自体、普通です。
最初にやり始めた人が誰か、分からなくなる人はいないでしょう。
ですが一体誰が関与して、または関与していないのか分かる人はいないといえるぐらい少ないでしょう。
加害者は10年後、被害者に声をかけることができても、その逆は絶対にありえない。
それほど心に刻み込まれるものなんですよ。
特に思春期ですから。
「やり返せばいいだろ!」っていう人がいますが、それだけの勇気があるなら死にません。
よく自暴自棄になって小学生や幼児を無差別に襲って、「死刑にしてください」というクズがいますが、被害者は「どうせ死ぬなら加害者も道連れ」などという考えは微塵も思いつきません。
そういえばアメリカかどこかで、『いじめ体験学習』というのをやっている学校を紹介した番組がかつてありました。
まず何も知らない人ばかりを集めて、そして無差別に1人を選んで徹底的に無視する。
もちろん集められた人たちは面識がありませんから、対応に困るわけです。
『教師』役の人は徹底的に無視するので、そうすることが利益になると思い始める人が出てくると当然、なんとか守ろうとする人も出てくるわけで。
で『教師』役はその守ろうとする人も同様に無視し、自分のやっている通りちゃんと無視している人だけをかわいがるのです。
そうなると沈黙することが正しい、利益になると誰もが理解し徹底的に無視する。
無視されるほうは最初、徹底的に反抗したりけんかしたり理不尽さに憤怒するわけですが、時間が立つとあきらめて無気力になってしまう。
そして何より守ろうとした人はどういう態度を取っていいかわからず、『被害者』にも『加害者』にもつくことができず、ぶらついてしまう。
これは児童、生徒向けの『いじめ体験学習』ですが、一般向けもあるようで。
「セミナーを開く」といって人を集め、受付で簡単なアンケートを取り、それを元に1人ではなく複数の人間を選別し、選別が終わったら会場に集まった人を入れる。
そして選ばれた人たちを一箇所に集めて非常にいい待遇を与える。
例えば、選ばれた人には高級ソファーが与えられるけれど、そうでないひとは地べたとか。
冬場なら、選ばれた人の周りにのみ暖房がある。
夏場なら飲み物が無料でもらえる。
無論反発が起こります。
ただ生徒のほうとは違い、『被害者』は多数なので力はありますがそこは手馴れた『教師』の腕前で、まったく相手にされません。
相手は本気でセミナーを受けにきていると思っていますから、それに大人でもありますし、いろいろ「法的な処置を取る」などとのた打ち回るわけです。
選ばれた側は周りの空気を読んで、「ここまでしなくてもいい」とか言う人も出てきますが、『教師』は突き放さないで徹底的に引きとめようとします。
つまり生徒のほうとは逆のことをするわけです。
会場が怒りで満ちる頃に、ネタばらし。
『いじめ体験セミナー』だった、という落ちなわけで。
反応は人それぞれですが、勉強になったという人が大半のようで。
もしいじめが発覚したら、校長と担任教師はまちがいなく教育委員会から呼び出しをくらうでしょう。
そしてなんとかもみ消そうとするわけで。
被害者宅に頭を下げに言って、あるいは土下座してまで公にしないで下さいと頼み込むわけですよ。
もし次があるなら、加害者と間違いなく同じクラスにはなりませんが、最初に言ったとおりどこまで加害者かわからないわけで。
それにまちがいなく同じ学年の人には知られているわけで、あまり効果が無い。
加害者と同じ高校を受験することになってもなんの処置も無い。
『えた』『ひにん』の頃からの名残でしょうね。
自分を客観的にみつめることができないから、他人と比べてしまう。
あいつより、あの子よりは上
そういう価値観をもっている人間ほど、いじめに走りますからね。
そうして罪の無い人間に裁きを加えるわけです。
壊れたオルゴールが愛おしくなったら、結構重症です。
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